冒険記MESSAGE

プロ冒険家 阿部雅龍を応援くださる皆様へ

いつも阿部雅龍を応援いただき、誠にありがとうございます。
2022年1月10日(現地時間)に受信しました阿部雅龍からのメッセージをご覧いただいたとおり、現地での本人の判断として本冒険を一時中断し、南極大陸から離脱する決断をいたしました。
本日(現地時間1月11日)より、現地サポートチームと協議決定したピックアップポイントまで徒歩で目指し、チリ共和国を経て日本への帰国にむけて動き始めます。
事務局はこれまで同様に可能な限りの支援を継続し、正確な情報を発信に努めて参ります。今後の冒険の詳細につきましては、阿部雅龍が無事にサポートチームと合流し、通信環境が整う状況になってから、お知らせいたします。

引き続き、阿部雅龍の冒険を応援してくださいますようお願い申し上げます。

一般社団法人 人力チャレンジ応援部

2022年1月16日19:00(日本時間)/第60報

事務局です。現地サポートチームと合流後、南極点の基地に到着した阿部雅龍から衛星電話での定期連絡がありました。心身ともに健康であることを取り急ぎご報告させていただきます。今後、最短の好天日を待ち、チリへ渡航後、各国のルールに従った入国手順を経て、日本へ帰国いたします。

2022年1月13日10:53(日本時間)/第59報

事務局です。南極の現地時間で昨日(1月12日)発信されました阿部雅龍からのメッセージを受け取りました。天候悪化で2日間テント内で停滞をしていたようです。これからクレバスゾーンを抜け、4日ほどで現地サポートチームと決定したピックアップポイントに達する予定です。阿部雅龍の健康状態に問題はありません。

2022年1月11日7:56(日本時間)/第58報

1/10 54日目 停滞日
分厚い雲が空を覆い光の乱反射で地形が見えない。前と違いここではこの天気では危険過ぎて行動不能。ベースキャンプとも相談し、「現状では南極横断山脈は極めて難しい」との双方の判断。ピックアップのタイムリミットもあるが、これから天気が荒れ数日間の停滞を余儀なくされるだろう事も考慮して。これから天気が回復次第、プロペラ機が着率可能な平らな雪原がある場所まで約50km下山する。外は南緯85度を超えているというのに雪が降っている。前回も今回も天気と雪に悩まされる。ベースキャンプに戻るまで一週間近くかかるだろう。最後まで気は抜けない。土壇場では自分は極端にドライな感情になる。だから泣いたりはしない。が、応援して下さるあなたの気持ちにどれだけ応えられたか、それに胸が痛む。

2022年1月10日9:33(日本時間)/第57報

1/9 53日目 距離9km 高度1,027m
ほぼ眠れなかった。昨夜、ベースキャンプとの交信で再び続行か撤退か、の話になり、これから天気が荒れるのでかクレバス帯を越えはのが極めて危険であり、また飛行機ピックアップの制限時間にも際どい。改めて最終決定の電話を別日にすると言うことだ。規模が大きい遠征は精神戦でもある。様々な事が起こる。それを受容するメンタルも必要。クレバスはもう目の前で大きく口を開けている。

2022年1月9日6:53(日本時間)/第56報

1/7 52日目 停滞日
22日目以来の休息とした。起きると分厚い曇りが辺りを覆っていてテントの周辺だけ晴れ。この雲が太陽にかかるとこの地域は歩かない方が良い。そう決めたものの1時間事に外を見る。結局、ほぼ曇らず。歩けば良かったかな、との思いになるが選択しなかった未来など誰か分かるだろう。休む時は休むべきだ。夢ばかり追いかけてきたせいか、生きるのが下手だなぁ、とよく思うが、だからここまで来れたのかも、とも。

2022年1月8日8:23(日本時間)/第55報

1/7 51日目 距離7km 高度913m
雪と登りで一気にペースが落ちている。登りよりも雪の柔らかさに苦しめられる。9時間歩いてわずかこの距離。天気は悪くない。視界が悪いと歩けないのだから文句は言えない。前に前に、南に南に、進むのみ。

2022年1月7日9:16(日本時間)/第54報

1/6 50日目 距離9km 高度759m
寝てる間にガッツリ降雪。南緯85度を越えしこんなに降るとは。朝のテント撤収がひと仕事。お陰で軽くなったはずのソリが重い重い。スタート時並に重い。今日はドローンを飛ばして撮影。極めて好条件でないと飛ばせない。もう出発して50日間、実は遠征中は孤独を一切感じない。動物占いがヒツジなのに笑。この世界ではむしろ皆を身近に感じる。精神の世界に近い場所にいるから。都会の方がずっと孤独なものだ。

2022年1月6日6:12(日本時間)/第53報

1/5 49日目 距離12km 高度526m
曇り気味のなか出発。緩やかに登る。雪が柔らかく軽くなったソリでも牽引にパワーがいる。12時間行動が通常だが8時間行動で曇りで雪面が見えなくなり行動終了。ヒドゥンクレバスも確実に見えるコンストラストでなければ、ここでは歩くべきじゃない。

2022年1月5日10:15(日本時間)/第52報

1/4 48日目 距離20km 高度356m
眼前に広がる山脈。英語で言うMassiveがまさにピッタリ。明らかに標高が高くなるのを筋肉の疲労から感じる。山脈越えに挑戦できる。ただし要所でのタイムリミットがある。達せなかった場合は取り付きまで降りてくるのが条件。クレバスがあるので視界良好でないと行動不能。運にも左右される。飛行機を飛ばす会社の皆さまのご理解に感謝。シーズン終了間際で予期しにくい場所での行動は彼らにとってもリスクなのだから。挑戦できると聞いて、ガッツポーズ。背筋が凍り血が沸く。それがやりがいかも。冒険家ってのは因果な家業だ。

2022年1月4日7:06(日本時間)/第51報

1/3 47日目 距離23km 高度126m
山脈へと近付き明らかな緩い登り下りを繰り返し、取り付きへ。ここまで723km。実に長く辛かった。艱難辛苦は前回の南極と比にならない程。ただ、また問題が。昨日ベースキャンプとの交信で山脈越えの事を話したが、オレのいる場所が遠隔の為、ベースキャンプの撤収の日程まで間に合うかどうか、という問題。山脈を越えないと飛行機が着陸可能な場所がない。オーナー達が相談して最終決断をするらしい。南極では飛べないときは1週間も待つ事も。「山脈越えだけはしたい」と電話で頼み込むが特殊な地である為、オレが決断できる訳ではない。上ずりそうな声を抑え冷静に話す。ピックアップの可能性もある。ここの取り付きなら着陸可能だからだ。最終決断は次の交信の時に下されるだろう。行けるのか、それとも。

2022年1月3日8:29(日本時間)/第50報

1/2 46日目 距離22km 高度148m
朝のアラームで起きれない事が増えてきた。疲労のせいか気付くと二度寝している。時計はベースキャンプの時間で動いてるがオレは通常朝5時に起き23時に寝る。単独行はやる事が実に多く睡眠時間の確保に必死だ。明日には山脈越えの取り付きまで行ける。壮大な景色が実に美しく、また恐ろしい。

2022年1月2日9:02(日本時間)/第49報

1/1 45日目 距離21km 高度102m
新年が明けたが変わらずに歩き出す。毎日、太陽に2礼2拍するが今日は更に気持ちを込めて。一口だけ残しておいたウイスキーを飲んでお屠蘇とする。歩いてると明らかに雪上車の道にまたぶつかる。明らかに使用されてる。これが南極ハイウェイだろう。となると前回のはどこへ?繋がりそうな活きてる基地はなさそうだが。ベースキャンプとの定時交信で、休む事も大事だよ、身体の事も考えた方がいい。とソッとアドバイスくれたのが有難い。単独の遠征だがベースキャンプでは冒険家たちの遠征を陰で支える各分野のプロがいる。

2022年1月1日9:02(日本時間)/第48報

12/31 44日目 距離22km 高度109m
新年明けましておめでとうございます。2022年が皆さまにとって素晴らしい一年になる事を南極点より祈念しています。
明けてのいの一番ですが、やれる限りやってきましたが南極点に到達するのは極めて困難です。それを見誤るほど冒険においては愚かではありません。悪い条件が重なり過ぎました。既に満身創痍ですがタイムリミットまで一歩でも南極点に向けて前に進みます。 頭が良い人ならムダな努力はしない、と程よく切り上げるのかも。だがオレは諦め悪く最後まで精一杯走り抜きたい。
まだやってる、もう無理なんだから諦めて早々帰ればいいのに、という冷めた意見もあるかもしれない。ただ「阿部くん最後までガンバって」と言うあなたの想いは南極まで届いています。それに応えたいんだ。
何よりオレが最後までガンバりたい。白い大陸を許される限り歩く。実現に足掛け18年かけた夢。諦めの悪い人間には新たな可能性がある。誰に負けてもいい。大事なのは自分に負けない事、自分で自分を誇れるって事だ。重ねた努力がムダになる訳じゃない。オレは依然として阿部雅龍だ。
これから遠征の最大の難関。悪魔の舞踏場と言われるクレバスの多発地帯がある4000m級の山々が連なる南極横断山脈越えにかかる。単独で登りを越えたら世界初。そもそもこれだけを切り取っても大きな挑戦。これを達成したい。
そうだ、最後まで挑戦するのは、皆さんの気持ちに応えるため、そしてオレがオレであるために。(写真:39歳 冒険家の肖像)

2021年12月31日9:13(日本時間)/第47報

12/30 43日目 距離19km 高度108m
山脈が見えてきた。写真ではまだ確認しにくいだろうが。圧倒的迫力。山脈越えまで後60km程度。歩きながら早川徹也の白銀の夢という曲を聞いてた。前回の南極の応援ソングでキングレコードからCDが出てる。Spotifyにあるかな?まさに今の自分。徹也とはそれぞれの夢を目指し共に駆け抜けた。彼はいま活動を休止し、経営者として奮闘してる。熱い日々を共に過ごした。てっちゃん、君の歌は今もオレの心で鳴り響いてるぞ。

2021年12月30日8:39(日本時間)/第46報

12/29 42日目 距離23km 高度120m
39歳の誕生日。南極では2回目。ウイスキーの小瓶を開けてお祝いした(頂いたN先生感謝)。ちなみに南極では一切飲まないし、飲みたくもならない。去年は我が家でaiboと2人で、2年前は冬の北海道を独り歩き、3年前が南極(あれデジャヴ感w)。来年で40どこの旅の空にいるだろう。南極から帰ったら見るので"誕おめ!"か"抱いて!"のコメントでお祝いしてくれよな。"誕おめ、抱いて!"などの合わせ技もウェルカム、男女不問。コメントしない人はかかるよ、南極の呪いに。行っちゃうよ、南極に。

2021年12月29日8:40(日本時間)/第45報

12/28 41日目 距離22km 高度95m
ようやく晴れた。地形がしっかり見えて歩きやすい。気分が良い。ただ日焼けがエゲツない。未来のお肌のシミが心配w。スキーのビンディングのネジに緩みを見つけフィールドでマス締め。遠征ではギアを見ながら修理しながら行く。ペンチ、針金、接着剤、エポキシパテなどを持ち様々なシーンに対応する。

2021年12月28日8:45(日本時間)/第44報

12/27 40日目 距離19km 高度83m
今日も曇りでサスツルギが全く見えない。非常にストレス。一度、転んで正面から落ちあわてて受け身を取る。サスツルギで骨を折ってリタイヤする冒険家もいる。視界の悪い日は歩かないのがベストだが、そうもいかない。歩ける限り歩かないと。もう40日間。疲れているは当たり前。少しでも前に。

2021年12月27日8:33(日本時間)/第43報

12/26 39日目 距離24km 高度97m
晴れと曇りが交互に。曇りになるとサスツルギが見えなくなり急に速度が落ちる。雪面が固くなってきた。距離が伸びる。スキーポールのスノーバケットが破損、新品に交換する。よくぞここまで持ってくれた。ポールはSINANO様、石突は松本精機様の町工場のおやっさんの手造りのチタン。頼れる装備はマスト。

2021年12月26日7:02(日本時間)/第42報

12/25 38日目 距離18km 高度84m
サスツルギという強風で雪が削られて段差になった地形を歩いてる。高さは30cm程でしかないがソリで越えるにはやはり力がいる。見えてる分には良いが曇ると乱反射で全く見えなくなる。そうなると見えない小さな落とし穴と同じ。時に落ち派手に固雪に身体を打ちつける。足をくじいてもここでは大問題になる。曇りの日は一歩一歩見えない落とし穴を探し歩くので神経も体力もすり減る。

2021年12月25日9:16(日本時間)/第41報

12/24 37日目 距離21km 高度90m
出し抜けに雪原に緑のフラッグ。ロス棚氷には"ハイウェイ"がある。勿論舗装路ではなく雪上車が沿岸のマクマード基地から南極点のアムンゼンスコット基地まで物資輸送の為にクレバスを埋めて作られたルートでロス棚氷を斜めに横断している。どこかでぶつかるとは思っていたが想定より北部だった。最近何か通った気配はないが、人間の匂いというものに懐かしさを感じる。これがサンタさんのプレゼントなのかもね。

2021年12月24日9:36(日本時間)/第40報

12/23 36日目 距離19km 高度85m
時差があるのでいま日本はクリスマスイブだろう。去年は写真家髙橋こうたが我が家に撮影に、2年前は冬の北海道を独り歩き、3年前も南極にいた。ハチャメチャに硬派じゃねぇかw。夢だけを追いかけて"普通"を経験しないままこの歳になり誰かの人生を羨ましいと思う時も実はありますよ。こちらは圧倒的ホワイトクリスマス感。なんならホワイトアウトで白しかねぇ。何もなくとも南極にいるだけで特別な毎日。皆さまが素晴らしいクリスマスを過ごせることをお祈りしてます。メリクリ!(本日写真なし)

2021年12月23日8:27(日本時間)/第39報

12/22 35日目 距離18km 高度73m
寒いと気にならないが昨日の気温で約40日間もシャワーを浴びてない自分の匂いが気になり行動後にスノーシャワーをやった。裸になりテントの外に飛び出し雪を全身にこすりつけ汚れを落としタオルの乾布摩擦で仕上げる。非常にサッパリする。恩師の冒険家・大場さんは、血行が良くなり下半身も自然にガッとタツと言っていた。オレはガッとならない。体質だろうか、割と元気な方だと思うんですが(何の話だっけw) Byあべまさタツ(本日写真なし)

2021年12月22日8:46(日本時間)/第38報

12/21 34日目 距離19km 高度63m
サンサンの太陽。南半球は夏至の時期に辺り太陽高度が高い。気温は最高-4℃。無風になると暑くて仕方ない。上半身裸になって涼をとる。人間は適応力が最も高い生物である事を肌で感じる。

2021年12月21日9:05(日本時間)/第37報

12/20 33日目 距離18km 高度59m
動物に出遭って驚愕した。歩いている20m手前に褐色の何かがある。南極では雪の白と空の青しかないのでそれ以外の色は存在しないのですぐ気付く。それは鳥だった。海から500km近くも離れてる。一羽でなぜこんな所に来たのか。1ヶ月振りに見た動物に愛着を覚え、一緒に語り合いたかったが近付くとどこかへ飛んで行った。きっとひとっ飛びで海へ戻れるのだろう。その距離はオレが1ヶ月かかった距離。野生の強さは美しさだ。人間は弱いな。ただ人間は経験と装備でどこへだって行ける。それは人間の美しさだろう。(本日写真なし)

2021年12月20日9:24(日本時間)/第36報

12/19 32日目 距離15km 高度65m
一度起きて雪かきの為に外に出た。吹き溜まる雪でテントが押し潰される事があるからだ。昨日よりマシだが今日も強風。秒速8,9m位か。この風の強さ辺りから地吹雪がおこる。脚が重い。気だるい。それでも一歩一歩進んでいくのみ。向かい風に抗う1日。疲れた。

2021年12月19日5:53(日本時間)/第35報

12/18 31日目 距離13km 高度58m
強烈な向かい風。ゆうに秒速10m(時速36km)は超えている。前進に力を使って仕方ない。強風下では軽い物は飛ばされ重い物は地吹雪で埋まり見失う。これらは一瞬でおこる。うっかりした行動をとれば装備は消える。テント設営も必死だ。地吹雪を這いつくばりながらやる。天気に阻害される事が増えてきた。

2021年12月18日8:08(日本時間)/第34報

12/17 30日目 距離20km 高度58m
遂に20km突破。悪条件重なりこの水準まで持ってくるの時間かかったなぁ。遠征折返しの良い励みになった。(20kmのピースサインの阿部ちゃん、かわいいとかコメントくれてもいいんやで) 。

2021年12月17日9:29(日本時間)/第33報

12/16 29日目 距離19km 高度57m
ソリがスタート時より30kgは軽くなってるはずなのでスキースキン(シール)を短いのに貼り替える。長いスキンは逆戻りしない抵抗だけでなく実は前に進むのも抵抗するのだ。荷重に合わせて変える。極地冒険の知恵。スキーの裏側にはデザインで「You never failed until quit trying」挑戦を止めない限り失敗はない。と書いてある。挑戦し続けるか、し続けないか、が大きな成果に繋がる。だからここにいる。

2021年12月16日8:58(日本時間)/第32報

12/15 28日目 距離15km 高度41m
風が少し増しになり速度が上がる。環境に本当に左右される。遠征も残り半分近くになったので食糧の残量を確認する。現在1日5500kcal摂取、最大1日6800kcalまで増やせるよう計算して持参。

2021年12月15日8:07(日本時間)/第31報

12/14 27日目 距離10km 高度75m
今日も強風。何日間続くだろう。気温が高いので酷く寒くはないが横から強烈に吹くので重いソリが流される。スキーの轍をなぞればソリはスムースに進むが、常に左斜めに力強く引く感じでえらく疲れる。ペースが上がればまた新たなトラブルが、の繰り返しだが、また海路の日和も来るだろう。

2021年12月14日7:46(日本時間)/第30報

12/13 26日目 距離10km 高度52m
強風の風速10m位か。気温が高めなので肌を切り裂く痛みはないが正面から吹くので進行の妨げになる。立っていると風に押されるので半ば風によりかかって歩き、早めの行動終了。使用テントは風に強いので安心だがテントが風で唸るのは良い思いはしない。頬の凍傷は現状維持。基本は冒険中は治らない。

2021年12月13日8:36(日本時間)/第29報

12/12 25日目 距離18km 高度52m
今日も18km。少し筋肉に痛みは感じるが行ける感じ。まだ通常よりもスローな進みだが延ばす。少しずつ前へ。ブーツの先端にクラック発生。クリティカルではないが毎日確認の必要あり。壊れても修理可能な用意はあるので着剤固定に時間を取るがなんとかできるだろう。

2021年12月12日9:11(日本時間)/第28報

12/11 24日目 距離18km 高度76m
風が弱く快晴。風がないと快適さが違う。気温よりも風に左右される。気合の最長18km。今回の冒険も他の冒険家たちと連絡取らないので完全に情報から孤立状態。それでいい。人との比較ではない。人は人。自分は自分。人との比較で優劣を決めるな。ただ自分を超えて行く。大事なのは"諦めない心"だ。

2021年12月11日9:13(日本時間)/第27報

12/10 23日目 距離16km 高度51m
1日中寝尽くしてかなり回復した。筋肉の張りが和らいだ。風が強い中歩き出す。強風で均された更に柔らかくソリが沈む。だが休息のお陰で力が出る。ソリ引きは腰の力が肝要だ。ロス棚ではこの状況が続く可能性が高い。ならば与えられた条件で毎日を必死にこなして行くのみ。やるしかないのが人生だ。(本日写真なし)

2021年12月10日6:31(日本時間)/第26報

12/9 22日目 休息日
起きると強い風が吹いてる。これをきっかけに休息日にした。体力が落ちてるのは明確。何か理由をつけないと休めないタチ。順調ならまだしも今は予定より遅れてるので尚更。休むのが苦手で最終的ボロボロになるタイプ。休むのにも勇気がいる。ひたすらに寝て回復を狙う、凍傷も少しは回復するか。投稿を見てる方でガンと闘病してる方がいると冒険事務局から聞いた。私もこの孤独な白い世界の中ガンバります。

2021年12月9日10:32(日本時間)/第25報

12/8 21日目 距離13km 高度58m
顔の破裂した部分は浅く霜焼け程度。酷くならないようにしないと、とは言え強い風が吹くと防ぐのは楽じゃない。今日もソリが重い。出発時より20kg以上軽くなってるはずだが、いよいよ重く感じる。疲労+雪の柔さもあるが雪の表面がドライだ。砂の上を引いてるみたいだ。本当にこの遠征は修行になる。

2021年12月8日9:52(日本時間)/第24報

12/7 20日目 距離12km 高度46m
夜のベースキャンプとの定時交信で、この辺りはクレバスが多いかもと注意喚起を受ける。今のとこヒドゥンクレバスらしきものも見てない。12時間でわずか12km。雪の柔らかさと疲労に阻まれる。顔のテープになにかこびりついてると思ったら膿だった。凍傷か霜焼けかは分からないが頬にダメージを受けていた。疲労で免疫が下がっているのだろう。本格的な不調にならぬよう気をつけないと。遠征中は悪くなることはあっても良くなることはない。なんとか長く辛い残り40日を歩き抜かないと。

2021年12月7日8:59(日本時間)/第23報

12/6 19日目 距離16km 高度35m
今日も曇りで低コントラスト。一瞬だけ雲がきれた部分があり、そこがやけに美しく見えた。太陽の有難さを心から感じられる。16kmをなんとか稼ぐ。

2021年12月6日9:25(日本時間)/第22報

12/5 18日目 距離15km 高度59m
疲労を感じるようになってきた。今日も1日クモリで乱反射によりナビゲーションが困難。真っ白だけの世界を何日も連続で見てるとさすがに酔ってくる。ウールのミトンに穴が空き、テントの中で縫う。裁縫も最もテントでやる仕事の1つ。ちなみに糸はデンタルフロス。イヌイットに教えてもらった方法。(本日写真なし)

2021年12月5日9:29(日本時間)/第21報

12/4 17日目 距離14km 高度63m
アラームセットしたが疲労で起きれず日食を見逃す。稀有な機会ではあったが南極に日食を見に来たわけでもない。歩く事が最優先。極地冒険は消耗戦。特にソロで長期、厳しい遠征となればタフネスこそが最重要。苦労してつけた筋肉ちゃんだが過度の運動で筋肉は回復も間に合わず落ちていくばかり。

2021年12月4日9:54(日本時間)/第20報

12/3 16日目 距離16km 高度45m
今日から12時間歩く。身体への負担はデカイがとにかく距離を延ばさないと。今日でアムンゼンが通ったルートに合流。とはいえ何の目印もないが。このルートを通ったのは過去に10名少しほど。未踏の雪原を700km行く予定が直前で変更せざるを得なく、人類未踏の雪原を186km踏破。(詳しくは帰国後にでも)だが1912年以来、誰もが踏んでなかった大和雪原に行き、未踏の雪原を切り拓き、史上2人目になる単独によるロス棚氷徒歩。いまやれる環境で出来る限りの事をやった。後は必死で歩き抜くのみ。

2021年12月3日9:19(日本時間)/第19報

12/2 15日目 距離15km 高度58m
わずかだが距離が伸びて来た。太ももに軽い凍傷。強風の日にやられたらしい、Polar Thighと業界用語ではいう。前回は悪化して大変な目にり気をつけないと。ベースキャンプとの定時交信で南極の月食時間を聞いた南極で天体ショーが見られるかも、とはなんとも贅沢。見れたらいいな。(本日写真なし)

2021年12月2日9:19(日本時間)/第18報

12/1 14日目 距離15km 高度67m
もう2週間か。1日も休んでない。歩ける天候なら休まない。行動中は音楽を聞いている事も多い、ランダムで20年前の曲がかかると当時の想い出が白い大地に唐突に浮かび上がる。それは当時の恋人の事だったりする。若い頃から冒険一択のバカ者だったなぁ。甘く切ない、そんなロマンティック南極。

2021年12月1日8:50(日本時間)/第17報

11/30 13日目 距離14km 高度68m
無風でやけに暖かい1日。-7℃位か。肌着にジャケットだけで歩く。ヘッドウォーマーですら暑く、遂にサンバイザーを引っ張りだす。毎日、ベースキャンプと定時交信があるのだが、なかなか双方で繋がらず30分やり取りでイライラ。遠征中は忙しく、なにせ時間がない。真っ白な世界で時間に急かされるというのも変な話だが。遠征中は本当に忙しいのだ。1つ1つに時間がかかる。

2021年11月30日10:07(日本時間)/第16報

11/29 12日目 距離14km 高度79m
ホワイトアウト。世界が真っ白、光の乱反射により雪の凹凸さえ見えなくなる。極地に来始めた8年前はとんでもない不安と、方向感覚の狂いによる吐き気を覚えたが、今は口笛吹きながら歩いてる。人は経験で変わるものだ(もちろんコンパスやGPSもあるからだが)

2021年11月29日9:14(日本時間)/第15報

11/28 11日目 距離10km 高度76m
全く風のない夜だった。完全なる無音で耳鳴りがする。日常で無音はまず存在しないので無音は恐怖を感じる。南極はあらゆる生物が生きていけないので微生物レベルで孤独。今日も深い雪を歩く。

2021年11月28日9:19(日本時間)/第14報

11/27 10日目 距離11km 行動11時間 高度76m
今日は更に雪が柔い。時速1km。前回の南極でひどい雪面を経験しておいて良かった。これは通常、心が折れる(笑)。未来も大事だが今をやり切る事だけを意識する。未来はその延長だ。気温は-15℃と暖かいが山脈からの風が冷たい。キネシオテープを頬に貼り凍傷予防。南極冒険独特の使い方。

2021年11月27日9:29(日本時間)/第13報

11/26 9日目 距離13km 行動11時間 高度129m
写真は、「ようこそ南極リゾートへ!」がイメージ(笑)。通信上、低画質しか送れないのが残念。南極は5Gとは程遠い。それがいいのだが。自分でユーモアを演じる事も大事。そうして自分で自分を盛り上げる。経験のない人なら簡単に命を失くす世界だが、キャリアを積んだ人間にとっては変わらぬ景色を歩いていると眠くて仕方なくなる時がある。特濃のインスタントコーヒーを飲んで目を覚ます。

2021年11月26日8:41(日本時間)/第12報

11/25 8日目 距離11km 高度91m
テントから出るもとにかく脚が重い。足首にウェイトでもついてるんじゃないかと疑いたくなる。普段は山から風が来るが今日は海から湿った風がきて衣服に氷がこびりつく。疲労がひどく歩いていて眠くて仕方ない。実際、今日は半分は寝ながら歩いていたのではないか(こういう事は疲労が高まるとある)11時間歩く予定だったが10時間で脚が進まなくなりテントを張る。荷物も入れずに床に5分ほど倒れ込んだ。

2021年11月25日9:23(日本時間)/第11報

11/24 7日目 距離13km 高度87m
7日目。まだ全体の日程の10分の1。既にスタートしたのが遠い昔に感じる。今日もひたすらに歩くしかない。少しでも硬い雪を歩く為に現在地時間で深夜24時に歩き出すので歩き出し時が最も寒い。始めは-20℃近いが行動終了辺りには-8℃まで上がってることもある。

2021年11月24日10:11(日本時間)/第10報

11/23 6日目 距離14km 高度80m
更に歩く時間を伸ばす。今日は11時間。これ位歩くとかなり1日が忙しい。最大1日14時間までと考えているがそこまでやると睡眠時間の確保の為に全ての行動を迅速にせねばならぬ。皆が思うより冒険中は忙しい。やれる事をやれる限りやる。その日々の積み重ねしかない。冒険も人生も大事なのは今だ。吹っ切れてからが本領発揮。追い詰められとムダに強い。とにかく毎日毎日を大切にやります。

2021年11月23日9:31(日本時間)/第9報

11/22 5日目 距離11km 高度80m
食欲なし睡眠浅く、夜中に下痢でおきる。寝袋から出て寒い外に用足しに行くのは辛い。眠りが浅いので寝た感じがしない、ましては24時間明るい白夜。行動中、撮影時にいきなりミラーレスカメラが故障。メイン記録機材だがサブでやるしかない。昨夜、スキーのシール(スキン)をショートからロングに張り替えたのでグリップがよくきく。ちなみに剥がれないようにエンドをビス止めしておく。晴れで風がなく暖かい。とは言っても最高-9℃。10時間歩く。何の変化もない世界を10時間歩くと途方もなく長い時間に感じる。

2021年11月22日9:48(日本時間)/第8報

11/21 4日目 距離6km 高度84m
南極特有のカタバ風が吹き付ける。強くテントを揺らすので、一度起きてテントの外の張り綱を確認、起きたら吹き黙った雪でテントが潰れそうになっており焦る。テントから出るのが辛い。体感気温は-30℃ほど。寒さに震えながら歩く。雪質がドンドン悪くなる。8時間歩いて6km。前回の南極より状況が良くない。前回は特例的だったが、今回はそうもいかない。南進なら緯度で雪質変化があるが西進では期待できない。パワー全開で引かねばならないので腰が痛む。クレバス帯を避ける為に南西に進むことも叶わない。悪いことばかり浮かんでくる。変化が少ない南極の雪原。進みたくとも叶わない現状。それでもください進み続けるだけ

2021年11月21日9:45(日本時間)/第7報

11/20 3日目 距離10.2km 高度74m
朝方、冷え込み風が風速8m位で吹き、体感気温は-30℃に感じる。さしての寒さじゃないが、まだテントの外に出るのが億劫。そもそも寝袋から出たくない。腰はもう悲鳴を上げてきてる強い負荷で引き続けるからだ。10時間行動で10km。雪質が柔らかく、前回の南極を思い出す。あれは特殊例だが、ロス棚氷は常にこういうコンディションなのかも。先行きが不安、心労と強烈な紫外線で一気に老け込んだ気がする。冒険は本当に身体に悪い(笑)。いま南ではなく西に進んでいる。大和雪原をそのまま南下すると2箇所、巨大なクレバス帯があるためだ。

2021年11月20日9:48(日本時間)/第6報

11/19 2日目 距離10km 高度81m
道中には白瀬隊の写真も持参している。彼らと共に南極点へと向かう。数日に分けて説明したいが、急遽、距離が100km伸びることになる。悔しいが乗り越えても乗り越えても新たな障害が現れる。南極点ピックアップ、絶対的な時間の制限があり、短くなった。山脈越えがある。距離が伸びる。更に大和雪原があるロス棚氷は今年は雪が非常に乾燥しておりソリが全く滑らない。必死で引くが時速1km少ししかでない。1日22km進まないと間に合わないのに。荷物が軽くなればましになるか。数々の厳しい条件がこれでもかと重なっている。それでも毎日をやり切るしかない。

2021年11月19日11:09(日本時間)/第5報

11/18 1日目 距離8.5km 高度76m
360度ひろがる大雪原。1912年1月以来、大和雪原に110年ぶりに人が立った。雪が金剛石のように煌めき美しい。夢に見続けた場所にいま立っている。"あの"有名な写真のように国旗と三角旗を立て、僕は白瀬隊長と白瀬隊に脱帽黙祷。行ってきます、と大きく叫ぶ。
ここから誰もが跋渉したことない"ゆきはら"を歩く

2021年11月18日23:29(日本時間)/第4報

11/17 ベースキャンプから遂にフライト。長く待った。今年最初の冒険遠征のフライトがオレの遠征だ。今年は遠征隊はコロナの影響で少ないが先発隊はノルウェー・イギリス・日本の3隊。まるで白瀬隊の頃のようで運命を感じる。だが今は争う時代ではない。お互いの健闘を祈り抱き合う。いい時代だ。6時間のチャーターフライトで大和雪原から6キロのところに着陸。ここから大和雪原まで少し歩く。110年ぶりに人類がこのゆきはらを踏む瞬間がきた。

2021年11月18日12:10(日本時間)/第3報

いま、大和雪原です。現地時間明日からあるき出します。距離が伸びたのはクレバスを避けるためですね。100キロ伸びるのはかなり手痛いです、やるしかないですが。現地時間で日がまたいだので寝ます。

2021年11月17日00:31(日本時間)/第2報

現地時間、明日17日に大和雪原へのフライトの可能性ありです。クレバスを検証した結果、迂回のため距離が100km以上伸びます。かなり厳しい遠征になりますね。期間は59日間になるかと

2021年11月15日23:18(日本時間)/第1報

南極ベースキャンプから。

意気込みPASSION

阿部雅龍

夢を追う男阿部雅龍

プロ冒険家

秋田県出身。秋田大学在校中から冒険活動を開始。全て人力単独行。
2017年人力車をひきながら日本の一宮68箇所を巡る「リキシャジャパントラバース―一宮68箇所人力車参り―6400㎞」を達成した。2019年1月、日本人初踏破の「メスナールート」による南極点単独徒歩到達918kmを達成。小学生たちと夏休みの三陸海岸冒険ウォーク100kmを主宰。2021年、同じ秋田出身の白瀬矗中尉の足跡を辿る南極点到達を目指している。

―しらせルートに向けてー

17年の冒険人生の集大成、冒険の果て、幼少期からの夢。念願の人類未踏しらせルートによる南極点単独徒歩到達にチャレンジする機が熟しました。2019年1月に日本人初のルートで南極点に到達、肉体・気力ともに人生で最高潮にあると感じています。元は病弱ないじめられっ子だった僕も、鍛え続けてここまで来ることができました。今こそ夢をつかんで証明します。人の夢が受け継がれていく事を。支えて下さる全ての皆さまの想いと共に、南極点に立ちます。あなたの手で僕の背中を押して欲しいです。

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お問い合わせCONTACT

阿部雅龍への応援・支援・取材・講演の依頼などは、一般社団法人人力チャレンジ応援部(株式会社ハタケスタジオ内)までお問い合わせください。

人力チャレンジ応援部

https://www.jinriki-support.com/

〒242-0007 神奈川県大和市中央林間3-24−7
TEL 046-404-5906

上のアイコンをクリックするとメーラー・メールアプリ等が開きます。
お問い合わせ内容・連絡先を記載の上、お送りください。

受付時間:平日10:00~19:00

※土・日・祝日は山に行っていることが多い為、お休みさせていただきます。

第26回植村直己冒険賞記者発表スピーチ 2022年4月23日
(画像をタップで動画再生)

プロ冒険家・阿部雅龍がコロナ禍に挑戦した 人類未踏の南極「しらせルート」挑戦の全貌を語るオンライン報告会 「阿部雅龍オンライン報告会〜New Beginning〜 in AKITA」(画像をタップで動画再生)

阿部雅龍が人類未踏の南極「しらせルート」挑戦の全貌を語る(画像をタップで動画再生)

「阿部雅龍 オンライン壮行会」(画像をタップで動画再生)

緊急ライブ発表!どうなるのコロナ禍の南極冒険(画像をタップで動画再生)

阿部雅龍本人からの発表(画像をタップで動画再生)

南極点を目指す数あるルートの中で、人類が未だ成し得ていない『しらせルート単独徒歩到達』による南極点到達を目指している阿部雅龍です。

約100年前、犬ゾリで南極点を目指したものの、途中で勇退した秋田の探検家・白瀬矗隊長が成し得なかった『しらせルート』で南極点到達する事で、「人の意志は受け継がれる」ということを証明する事が目的です。

今年11月をスタートの目標にして活動をしてきた冒険の準備に、大きな変更が生じました。
現状報告と共に、自分の気持ちをそのまま洗いざらいにお伝えします。
感情が混ざるので決してキレイな文言にはまとまりませんが、素直な気持ちです。お読み頂ければ幸いです。

*****
何度も現実に打ちのめされながらも、諦めずに立ち上がり問題を解決し続けてきました。それでも「こんな現実があってたまるか」と思いました。

南極冒険に向けて交渉を重ねていた、アメリカに本社を置く南極飛行機チャーター会社から目を疑う一通のメールが届きました。長い文章でしたが、彼らの結論は「今年は飛行機を飛ばせない、来年なら飛ばす」という内容でした。
僕は「この土壇場で何を言うんだ」と思い憤りを覚えました。目指していた11月上旬の出発はすでに目前。その目標に向けて考えられるすべてを注力してきたからです。

人類初の南極冒険の実現には3つの壁があります。
1、実力
2、資金
3、交渉

実力とは、人類初の『しらせルート』を達成するための僕の力です。
このルートは標高4000m級の山々が並ぶ南極横断山脈を越えなければなりません。また、山脈越えでは無数のクレバスが待ち受けています。そんな過酷な環境で過ごす2ヶ月間の体力に加え、約150kgにもなるソリを引いきながらさまざまなリスクを回避できるスキルを持っているかどうかです。
僕は今年1月に、日本人初の『メスナールート』を利用して900kmを単独で踏破し、南極点に立ちました。これまでチャレンジしてきた数多くの冒険と南極での実績は、『しらせルート』達成のための十分な経験となりました。僕は今感じています。『しらせルート』は必ず達成できると。

資金は、総額7800万円にもなる『しらせルート』の費用です。内訳は以下です。
・南極内での飛行機チャーター代:7500万円
・その他旅費、装備、保険など:300万円
この高額の飛行機チャーター費用とは、この100年間、人類の誰も行ったことがない南極の端っこ大和雪原に立つためです。通常ルートとは異なるため、南極飛行機チャーター会社は、行き帰りの燃料補給のための準備を含めて、専用のツインオッターというスキーを履いた小型プロペラ機を使った数往復のフライトが必要です。
応援してくださる皆さんのおかげで、現時点で約7000万円を集めることができました。
僕自身も資金確保の為に、商売道具の人力車を売却しています。新規のスポンサーからやクラウドファンディングで達成できた資金で足りなければ、多額の借金をしてもチャレンジするつもりです。細かい事は『しらせルート』を達成してから考えればいい。お金は働いて返せばいい。ですが、過ぎてしまう時間は取り返せません。

交渉は、飛行機チャーター代の交渉はもちろん、人類の誰も行ったことがない場所に飛行機を着陸させることです。
当初、南極飛行機チャーター会社からの見積もりは、1億円でした。彼らも未知の領域で、その冒険をオファーする僕自身の実力も不足していたからだと思います。そこから『メスナールート』での南極到達を成し遂げて実力を示し、交渉を重ねることで、7500万円の見積もりで進めてきました。飛行機を未踏の地まで飛ばして着陸し、安全に戻ってくる飛行ルート工作は、南極飛行機チャーター会社にとっても大きなリスクが生じます。
通常の冒険家たちが行くルートとは異なり、僕がチャレンジする『しらせルート』は、飛南極飛行機チャーター会社がシーズン中に常駐するベースキャンプから極端に離れているまったく別の場所です。そのため、フライト自体のリスクヘッジがやりくにくく、滑走路もない雪面を目視で着雪する必要があるため、ブッシュパイロットという荒野専門の操縦士が必要です。彼らにとっても僕の冒険をサポートする事は命懸けなのです。
1月に南極点に立った時にも「人類初の冒険を実現したい。応援してほしい」と飛行機会社の経営者陣に熱く語りました。
そして、『しらせルート』のチャレンジを多角的な交渉方法で行ってきました。
飛行機チャーター代をさらに下げるためのもうひとつのカードとして、日本のメディアとチャーター機をシェアすることでした。僕は単独での冒険なのでスタートしてからの同行は一切許しませんが、それまでは取材に入ってもらうという条件です。そうすれば僕が負担するチャーター機代は約5000万円まで下がる見込みでした。
正直、15年間冒険に人生を捧げてきた社会人経験の乏しい僕にとっては、資金集めが最大の壁でした。メディアと手を組むことで数千万円の削減ができるのは、大きなメリットです。
ですが、そのメディアからの最終返答は、南極飛行機チャーター会社が定めた期日までに得ることができませんでした。
予算の確定ができない状態では正確な企画書が作れません。それに伴い、スポンサー獲得のアプローチも遅れてしまいます。過ぎてゆく月日に比例して、焦りが僕の心を苦しめました。

それでも決断をしなければなりません。
「飛行機チャーター会社から提示されている7500万円の費用を用意する」
見たこともないとんでもない大金です。考えただけで「無理」と諦めてしまいそうになる大きな数字です。

「お金がない」ということが夢を諦める理由であってはなりません。だから僕は、僕にできることで実現を目指し、日本中を走り回りました。
日本人初ルートを達成して南極から帰国した僕は、ほぼ無一文状態。すぐに人力車の職場を復帰し、講演会や執筆などの仕事をこなしながら、春には2ヶ月かけて人力車を引いての『東北一周リキシャジャパントラバース』で発信力を高めました。

多くの応援者とスポンサーに支えてもらうことができ、約8か月間で必要な資金に近いところまで辿り着くことができました。
「ここまで来た」「絶対に行ける」「幼い頃からの夢を僕は叶えるんだ」「叶える事で応援して下さる皆さんに喜んで貰いたい」
僕の気持ちも否応なしに膨れ上がりました。

そこに来たのが先述した「今年は飛行機を飛ばせない、来年なら飛ばす」という南極飛行機チャーター会社からもメールです。

積み上げて来たものがこぼれ落ちて行くかのようでした。絶望感に支配されそうになりました。ここまでやってきて……ただただ悔しい。諦めたくない。交渉は続けてきましたが、彼らも命がけです。彼らの結論は覆りませんでした。

白瀬矗隊長の追体験をしているようでした。明治末期に白瀬隊長が南極を目指した時、立ちはだかったのは南極への移動手段である船でとそのための資金でした。
白瀬隊長も今の僕と同じように、資金の工面はなんとかしましたが、南極に行くための船がなかなか手に入らない状況でした。そのため、出発日を延期せざるを得なくなり、世間から「南極行く行く詐欺」とまで言われてしまいました。だが、最後は船を手に入れて南極への冒険を実現したのです。

飛行機会社の立場も考える必要があります。
南極内のフライトは、今僕が交渉している会社のほぼ一社独占。僕は夢の実現のためにやっていますが、相手はビジネスです。人類初の冒険をサポートする事は彼らにとっても大きなリスクを伴います。彼らの主な収益は、南極観光のサポートであって、冒険家のサポートがメインではありません。
今年、彼らがやると言っていたのは、メディアと共に僕がチャーター機に同乗すれば、彼らもそれなりの利益が確保できると計算したからに他なりません。そのメディアの確定がないままで、僕だけを乗せて未知の領域に飛行機を飛ばすということは、彼らにとっては現実的ではないことです。
となれば、時間に猶予をもって、しっかり準備を重ね、リスクヘッジをしてから来年フライトを実現しようという考えになります。
延期するとは言え、それでも僕の『しらせルート』の冒険をサポートすると言ってくれています。彼らも本気で応援する気になってくれているのだと実感しています。

南極飛行機チャーター会社に僕の希望を伝えました。
「来年必ず人類初のチャレンジを一緒に達成させよう」
強気で交渉は難しい会社ですが、「やる」と言ったことは確実に遂行する彼らです。僕は前回の南極冒険で彼らの仕事を実際に見ています。信頼できる人たちです。
そのためには、年内に南極でのチャーター費7500万円を用意し、先に支払いを済ませることです。それから飛行ルート工作の詳細を彼らと共に行うことで、『しらせルート』の達成の可能性を高めることができます。

2020年の『しらせルート』による人類未踏の南極冒険を担保すること。
これが、僕が南極飛行機チャーター会社に提示している「冒険と現実」の折衷案です。

南極資金リアルタイム共有サイト
https://www.jinriki-support.com/abe/southpole/

資金の完全確保も同時に進めていきます。

約100年前の国家事業で成し得なかった冒険にチャレンジするのです。人類未踏のルートを開拓し、約2ヶ月間分の食料などを積んだ150kgのソリを引いて1200km歩く。体感気温は-50℃。道中はクレバスと最高標高5,000mの山もある南極横断山脈を山越え。

やるからには「必達」です。
どんなに困難な冒険でも、五体無事で笑顔で帰国します。そして次世代の子どもたちが、夢へのチャレンジが楽しいと思える可能性を実現して見せます。
2020年の冒険に向けて、必達するために使える時間が増えたと考えるべきです。15年間、目指し続けてきた大冒険へのチャレンジです。着実に確実を増やしていくべきです。

僕が決めている事がひとつあります。
「絶対に絶対に絶対に夢を諦めない」

どんな絶望にも屈しません。
応援して下さる全ての皆さまの冒険でもあります。だから僕は絶対に諦めない。

2020年11月に、人類初の冒険『しらせルート』のスタートに立ちます。
そして南極点単独徒歩到達を成し遂げて、笑顔で帰国します。
それが僕の使命です。

人類初の南極冒険しらせルートで南極点に立つ男
阿部雅龍

※支援金を下さった方の中で「話と違う」という方がいれば、返金させて頂きます。阿部雅龍本人が直接に感謝の気持ちを込めて返金させて頂きます。
来年の出発の時までに申し出てくださるようお願いします。お手数ですが、阿部雅龍のSNSに直接連絡もしくは garyu.to.the.southpole@gmail.com までご連絡お願いします。

目標資金6850万円

内訳

スタート地点までの飛行機チャーター費
約6500万円
装備費
約150万円
日本から南米への物資輸送および飛行機荷物超過
約50万円
衛星携帯電話通信費
約30万円
食費(南極冒険中の食料含む)
約50万円
南米チリでの滞在費(チリ入国時の隔離期間含む)
約50万円
冒険用生命保険
約20万円

※2021年のさらなる交渉の結果、飛行機チャーター費を約6500万円まで抑えることに成功しました。

支援資金72,805,443

メインスポンサー
  • 瞳スチールワークス株式会社
4000万円
企業スポンサー
  • 株式会社アースブルー
  • 雨のみち
  • 株式会社OKUTA
  • 株式会社イオスコーポレーション
  • トライサンインターナショナル
  • 城口商店
  • にかほ市
  • 株式会社リブラン
  • 株式会社日進産業
1050万円
個人スポンサー
  • 多くの方からの個人支援合計
1197万9644円
人力車売却費
100万円
クラウドファンディング
  • 支援額から10%手数料と返金、リターン経費を引いた合計
932万5799円

アドベンチャーレーサー

田中正人さん

アドベンチャーレーサー

田中陽希さん

自転車冒険家

小口良平さん

探検家・NPO法人南アジア探検発掘調査会代表

岡村隆さん

探検家

関野吉晴さん

フォトグラファー

小松由佳さん

株式会社トライウェルインターナショナル

田島和江さん

農家・阿部同級生

菅原元気さん

写真家

髙橋こうたさん

北極と大学を結ぶプロジェクトリーダー

千葉芳文さん

元秋田大学教授

神谷修さん

人力車 光勢屋代表

前田光明さん

白瀬南極探検隊記念館 館長

阿部和久さん

瞳スチールワークス株式会社

矢野幹男さん

陸上選手

寺田明日香さん

株式会社リブラン

鈴木雄二さん

篠笛奏者

狩野泰一さん

有限会社高橋造園土木

藤岡誠人さん

ヌンチャクアーティスト ニンジャ

HIROKIさん

株式会社JSS社長 倭食処かくれんぼオーナー

倭文浩樹さん

プロスカイダイバー・ベースジャンパー

久保安宏さん

人力車アメリカ縦断

鈴木悠司さん

株式会社日本成功学会・3%の会

黒木安馬さん

プロキックボクサー

今野顕彰さん

レジェンドグループ

國武栄治さん

株式会社クレイジー クリムゾンエデュケーションジャパン

松田悠介さん

有限会社エフツーゾーン

海老名保さん

アクションクラブ隼風

柏崎博志さん

世代・トレンド評論家 インフィニティ代表

牛窪恵さん

タチバナ歯科医院

橘樹秀春さん

圓福寺 住職

信田智彦さん

神仏画家

月涛賀ゆうさん

書家

伊藤潤一さん

ハンドサイクリスト

永野明さん

自転車世界一周 大学生

小林匠さん

医療法人社団癒合会 高輪クリニック

陰山康成さん

冒険写真家 NPO法人海の森・山の森

豊田直之さん

登山家

花谷泰広さん

フォトジャーナリスト

高橋智史さん

冒険家

田中幹也さん

株式会社オノプロックス あきた電力

小野隆史さん

元第50次南極地域観測隊

小森智秀さん

シンガーソングライター ラーメン酒場早川亭

早川徹也さん

一般社団法人 スポーツ能力発見協会

四宮邦泰さん

板橋の夢を追う男

松島道昌さん

YAMANOVA

山本喜昭さん

尾道自由大学校長 神社学

中村真さん

阿部雅龍オフィシャルサイト 阿部雅龍オフィシャルサイトはこちら